「週1日の勤務、経営業務は一切不要で、高収入の『院長』に」
そんな、一見すると魅力的な誘いを受けた経験は、ありませんか?
しかし、その安易な「名義貸し」が、自らの医師免許と、これまで築き上げてきた資産を、破滅的なリスクに晒す可能性があることを、ご存知でしょうか。
この記事では、多数の医師が被告となった「ウルフクリニック集団訴訟事件」を、一つの重要なケーススタディとして解剖し、我々医師が知るべき、院長としての法的責任と、自らのキャリアを守るための防衛策を解説します。
ウルフクリニック事件の概要
まず、この事件がどのようなものであったか、客観的な事実を整理します。
訴訟: 患者の救済のため、アディーレ法律事務所が、クリニックの運営会社ではなく、各院の「院長」として登記されていた医師5名に対し、総額2,000万円を超える集団訴訟を提起しました。
概要: 全国展開していた男性専門の医療脱毛クリニック「ウルフクリニック」が、2023年に突然営業を停止し、破産手続きを開始。
被害: 900人以上の患者が、前払いした料金に見合う施術を受けられなくなり、被害総額は(判明しているだけで)1億8000万円以上にのぼりました。
医療脱毛クリニックの営業停止、患者への返金、従業員の給料未払い問題が報道されていました。
アディーレ法律事務所は相談窓口を設置し、実態把握、集団訴訟提起をおこないました
なぜ、勤務実態のない医師が、被告になったのか?
ここで最も重要な問いは、「なぜ、経営に関与していなかったはずの一勤務医が、経営破綻の責任を問われ、被告となったのか」です。 その答えは、日本の医療法の大原則にあります。
医療法の「大原則」
日本の医療法では、クリニックなどの診療所を開設する場合、その施設の管理者は、必ず医師(または歯科医師)でなければならない、と定められています。そして、その管理者は、たとえ経営業務を別会社(いわゆるMS法人など)に委託していたとしても、その診療所における医療の質と、運営に関する最終的な法的責任を負います。
「名義貸し」の本質的なリスク
つまり、「名義貸し院長」になるという契約は、実質的な経営権限や裁量がないにも関わらず、法律上の全ての責任だけを、一身に引き受けるという、極めてアンバランスで、危険な契約なのです。 クリニックが破綻した場合、患者や債権者が責任を追及する相手は、経営の実態に関わらず、法律上の管理者である「院長(=名義を貸した医師)」となります。
「名義貸し院長」のリスクから、身を守るための確認事項
このような最悪の事態を避けるために、我々医師が、自らを守るための「処方箋」です。
- 処方箋①:契約内容の徹底的な精査「院長」としての就任を依頼された際は、給与などの好条件だけでなく、業務内容、責任の範囲、そして「万が一、経営が破綻した場合の責任の所在」について、弁護士を交えてでも、契約書を隅々まで精査することが不可欠です。
- 処方箋②:経営実態のモニタリングたとえ経営に直接関与しなくても、院長として、クリニックの運営状況(患者からのクレームの数や内容、資金繰りの状況など)を、定期的に報告させる義務と権利があります。異常の兆候を早期に察知することが、リスク管理の第一歩です。
- 処方箋③:適切な賠償責任保険への加入通常の医師賠償責任保険は、あくまで「医療過誤」をカバーするものです。今回のような「経営者・管理者としての賠償責任」は、対象外となる可能性が高いです。役員賠償責任保険(D&O保険)など、必要な保険の種類について、専門家と相談することが重要です。
まとめ:医師免許の「重み」を、再認識する
「名義貸し院長」という働き方は、一見すると、時間対効果の高い、魅力的な副業に見えるかもしれません。
しかし、その背景には、我々の医師免許が持つ、社会的な信用の重さと、それに伴う法的な責任が、常に存在しています。その重みを正しく理解せず、安易に自らの「名」を貸す行為は、いつか、自らのキャリアと資産そのものを破壊する時限爆弾になりかねません。
この記事のケーススタディが、先生ご自身のキャリアを守るための、一つの指針となれば幸いです。
免責事項
本記事は、医療経営に関する情報提供を目的としており、法的な助言ではありません。個別の事案における法的な判断については、必ず弁護士等の専門家にご相談ください。