【医師の視点】働き方改革が「無理ゲー」な、たった1つの理由。なぜ、仕事は消えないのか?

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2024年から始まった、医師の働き方改革。

時間外労働の上限規制、タスクシフト…。様々な「対策」が講じられているにも関わらず、なぜ、我々現場の疲弊感は、一向に消えないのでしょうか。

「9割の病院で、上限達成は無理」という、衝撃的なデータ。それは、この改革が、ある、たった一つの、しかし、最も重要な原則を見落としていることを、示唆しています。

それは、「仕事の総量は、簡単には、減らない」という、物理法則のように、冷徹な現実です。

この記事では、なぜ、この改革が「無理ゲー」と化してしまうのか、その根本的な構造を、医師の視点から、解き明かします。

目次

【根本問題】「仕事の総量」という、誰も触れない最大の変数

現在の、医師の働き方改革の議論は、常に「労働時間」という“器”の大きさの話に終始しています。 「A水準は960時間まで」「B水準は1860時間まで」と、器のサイズを規定することに、躍起になっています。

しかし、問題の本質は、その器に注がれる「仕事」という“液体の量”そのものです。 日々の外来患者の数、緊急手術の件数、そして、こなすべき膨大な事務作業。この「仕事の総量」が、1ミリも減っていないのに、器だけを、無理やり小さくすれば、どうなるか。

答えは、明白です。中身は、必ず、どこかへ溢れ出します。

では、器から溢れ出した「仕事」は、どこへ行くのか?

公式な「労働時間」という器から溢れ出した、行き場のない仕事は、形を変え、異なる場所で、新たな「症状」として、現れます。

症状①:サービス残業という「気化」

勤怠システム上は、消えたように見える、時間外労働。しかし、それは、「自己研鑽」という名の、見えない“気体”となって、院内に、そして、私たちの生活に、滞留し続けています。

症状②:持ち帰り仕事という「浸透」

院内という器から溢れ出した仕事が、自宅という、本来、安全であるべきテリトリーにまで、染み出し、汚染していきます。PCを開けば、そこは、もう一つの職場です。

症状③:中堅・上級医への「濃縮」

若手医師という、守られた“器”から溢れた仕事は、行き場を失い、管理職という、上限規制のない、たった一つの“器”へと、危険なレベルで、濃縮・集中していきます。この構造が、最も経験と、知識のある、医療の中核を担う世代を、今、最も疲弊させています。

このままでは、どうなるのか?

この「仕事量保存の法則」を無視し続ければ、どうなるか。 予後は、決して、明るくありません。

過剰な負荷に耐えかねた、優秀な中堅医師が、大学病院や、地域の基幹病院から、次々と流出していく。その結果、残された者の負担は、さらに増大し、医療の質は、否応なく低下する。 日本の医療システムそのものが、ゆっくりと、しかし、確実に、崩壊へと向かうでしょう。

まとめ:本当の課題は、「働き方」ではなく「仕事量」

「働き方」を改革する、という、その理念は、正しい。 しかし、その前に、我々が、そして、この国の医療政策が、本当に向き合うべきは、「そもそも、この仕事量は、本当に、適正なのか?」という、より、根本的な問いです。

この、誰もが目を背けたい、不都合な真実に、メスを入れない限り、この「無理ゲー」は、永遠に、終わりません。

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